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大阪地方裁判所 昭和56年(わ)969号 判決

事件

主文

被告人を懲役三年に処する。

この裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

押収してある布製ベルト一本(昭和五六年押第二五七号の一)を没収する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、和歌山県の中学校を卒業後、大阪府四篠畷市の姉夫婦経営の食堂で住込店員をしてきたとき、当時同食堂に出入りしていた角三津雄に働き者と見染められ、昭和三五年五月結婚し、翌三六年七月二五日長男秀樹を、昭和四〇年七月一六日長女純子をそれぞれもうけた。

ところで、秀樹は、難産の末仮死状態で出生し、脳内出血の摘出手術を受けたが結局脳性麻痺児となり、左半身の発育不良と麻痺のため歩行障害を負うことになつたうえ、その性格も、極めて内向的で集団生活に馴染めず、また、右障害のせいで級友にいじめられたりしたため、小、中学校を通じその殆んどを特殊学級で過ごし、昭和五二年四月大阪産業大学付属高校に進学してからは、親切な一人の級友に恵まれたことと、被告人において、従来のように家業に就く前の早朝、秀樹を近くの神社の境内で歩行訓練をさせたうえ、自動車で最寄りの駅まで送る努力を続けたこともあつて昭和五五年三月同校を無事卒業した。しかるところ、秀樹及び被告人の希望とは裏腹に、ぜひとも進学させて卒業後は市役所へ勤めさせたいという夫三津雄の強い意向により、更に同年四月大阪産業大学工学部へ進学することになつたが、前叙性格のため大学生活に馴染めず次第に苦痛の念を募らせ、昼食の弁当も全く食べず、帰宅すると「しんどい」と言つてごろ寝するばかりか、「僕の頭の中は真暗や。」等とさえ洩らすようになつた。被告人はそのように辛い思いをして通学する秀樹の姿に心を痛めながらも同人を懸命に励ましたり、点滴を受けさせたりして通学させていた矢先の同年一〇月ころ、大学当局から呼び出しを受けて出頭し、秀樹の前期試験のうち化学の試験が白紙で他の課目の成績も悪いなどと注意されたことから、一方このままでは翌五六年三月になると、同大学を退学させられてしまい夫三津雄の期待を裏切る結果になるのではないかと危惧し、他方秀樹が右一〇月ころには「死にたい。」とまで洩らすようになり、そのような秀樹の苦しむ姿を見るにつけ、この際いつそのこと自主退学させて家業の手伝をさせる方が同人にとつて幸せではないかとの思いも募り、それまで右面接の結果を打明けることもできないでいた夫三津雄に右自主退学をほのめかしたりしたが、依然秀樹の大学卒業に強い期待を抱いていた同人から全く相手にされず、被告人の心中を理解してもらえなかつたので、次第に秀樹の退学問題やその将来に一人で悩みを深めるようになつた。

ついで、純子は、被告人が家業で無理をしたのが原因で胎内七か月の未熟児として出生し、秀樹と同様脳性麻痺児であつたが、その身体障害の程度は同人よりも重く独歩困難で日常絶えず介護者を要するほどであつた。そして被告人が秀樹を抱え、家業の米穀、燃料商を手伝つていかなければならなかつたため純子は二歳のころから被告人の実家に、昭和四四年二月ころから奈良市の東大寺整肢学園にそれぞれ預けられ、その後昭和四七年六月大阪府河内郡の太子学園に転園し、小、中学校も同施設から通学するというように養護施設での生活が長く続いた。その間同施設での歩行訓練により杖をつかずに歩行できるようにまでなつていた。被告人は、月に一回位太子学園に純子との面接に行つていたが、昭和五五年八月ころ同学園から呼び出しを受け、純子が自宅に帰りたがつているので、翌五六年三月中学校を卒業するのを機に自宅に引き取つて欲しい旨言われ、更に昭和五五年一二月三日ころにも被告人方を訪れた同学園の職員ら三名から純子の気持を考えると今引取つてやらないと取り返しのつかないことになるなどと説得されたうえ、右同様同女を引き取つて欲しい旨重ねて要請されたが、夫三津雄としては、家業が忙しいうえに、被告人が子宮筋腫、三津雄が胃下垂でいずれも健康状態が思わしくなかつたことや、純子が高等学校を卒業する三年後を目処に同女のため煙草屋を開業してやる予定でいたことなどから、直ちに引き取るつもりはなかつた。しかし、被告人としては、施設での生活が長い純子の気持を思うと不憫でならず、すぐにでも自宅に引き取つて一緒に暮したいとの気持が募るばかりで、そのことを夫三津雄に話し翻意を求めたが、右の考えの強かつた同人からは、秀樹の退学問題のときと同様全く相手にされず、一人で悩むようになつた。

ところで、被告人は、夫三津雄との間でもうけた二児とも右の様に脳性麻痺児であつたため、被告人の結婚に反対した夫の親戚からかねて心ない厭味を言われたりしたことや、夫からさえも、折にふれて、二人の子供が障害を持つて生まれたのがまるで被告人一人の責任であるかのような言動をされたことなどから、今までも幾度か二児を自動車に乗せて崖から転落させるなどの方法により、これらを道連れに自殺してしまいたいとまで思いつめる程の懊悩を味わつてきたが、今更に秀樹の退学問題に加え、純子の引取りの問題が夫の意見と合わないために、いよいよ苦悩、煩悶を募らせ、また、秀樹らが不憫であると思う気持と自己の無力感が一層昂じるようになつた。そして、昭和五五年一二月二九日純子が休暇で帰宅したのであるが、年末の家業最繁忙の折でもあつて到底家族間で対話をする暇もないまま、二児の前記ことごとも念頭から一時的に離れていたものの、同五六年の新年を迎え、家業から解放されるとともに年末の過労による疲れのとれるに従い、ようやく二児の前記問題に直面することになつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五六年一月三日、昼食後肩書住居地の自宅二階で就寝したが、同日午後八時ころ、電話のベルの音で目覚め、階下で電話を受けた夫三津雄が外出したことに気付くや、発作的に、その隙に秀樹(当時一九歳)及び純子(当時一五歳)を連れ出して両名を殺害し自分も一緒に死ぬよりほかに前記二児の問題から逃れることができないとの思いに駆られ、とつさにその旨決意し「おばあちやんの所へ行こう。」と嘘をつき右両名を普通乗用自動車(大阪五九つ五七四)の後部座席に乗せて、運転して自宅を出発し、阪奈道路を経て、信貴生駒スカイラインに入り、同日午後九時三〇分ころ、大阪府東大阪市東豊浦町二〇〇六の七番地先の駐車場兼展望地からガードレールの設置されていない西北方に向け、右普通乗用自動車もろとも約一五メートルの崖下に転落させたが、いまだ秀樹と純子が生存しているのに気付き、転落した車中において、殺意をもつて、純子の頸部を両手で締めたうえ、更に当時自己が着用していたコートの布製ベルト(昭和五六年押第二五七号の一)をその頸部に一回巻いて強く締めつけ、続いて秀樹の頸部を右ベルトで同様強く締めつけ、よつて、即時同所において、右両名をそれぞれ窒息死させて殺害したものである。

なお、被告人は、本件各犯行当時ヒステリー性もうろう状態に陥つていたため、心神耗弱の状態にあつたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件犯行当時被告人はヒステリー性もうろう状態に陥つており、心神喪失ないし心神耗弱の状態にあつた旨主張するので、この点につき検討する。

前記関係各証拠によると、次の事実が認められる。(一)なるほど判示の如く被告人が二児の問題を抱えその解決に悩んでいたとはいえ、本件犯行当時までその解決として無理心中するよりほかにないとまで思い詰めていたような形跡は全くなく、本件犯行当日の午前中には、純子らに「明日餅を搗こうね。」と言つて餅米を洗いその準備さえしているのである。(二)ところが、その後就寝して同日午後八時ころ突然電話のベルの音で目を覚され、夫が外出したと知るや、とつさに本件犯行を決意し、何ら逡巡することなく直ちにその実行に移つていることからすると、被告人が本件犯行を決意するに至つた過程は余りにも唐突かつ短絡的なものであつた。(三)しかも、被告人が本件犯行実行のため自宅を出るにあたり、玄関の戸を開け放したままにし、一、二階のストーブも火がついたまま放置し、特に、当時被告人方の内外には販売用のプロパンガス充満のボンベが多数置かれていたにもかかわらず、二階のストーブの金網に布団が接近して発火し易い状態のまま放置されてあつたことは、高圧ガス販売主任者の免状を有し、長らく家業の燃料商に従事していた被告人の万事に几帳面な性格からは到底考えられないような危険かつ異常な行動である。(四)そして、被告人は、かねて子供のことで悩みがあるときにしばしば後頭部の痺れ感を訴えるとともに放心状態に陥つたりすることがあり、ことに秀樹の退学問題が生じたころ以降は右のような放心状態に陥る場合が多くなり、その間便所の手洗用バケツで食器を洗つたり、夫から預つた現金の置き場所を誤る等非常識かつ異常な行動をとつたりし、しかも、放心状態から戻るとその記憶を有していないということがあつたところ、被告人は、本件犯行について、当日の午後就寝中電話のベルの音で目覚め夫が外出したのを知つて、子供らに「おばあちやんの所へ行こう。」と声をかけ自動車で自宅を出たことの記憶があるものの、本件犯意を抱くに至つた直接の原因、事情やその心理経過については勿論、障害児である二児を二階から連れ出し自動車に乗せた状況、更にはその後阪奈道路を経て信貴生駒スカイラインを走行中の時点までの状況についての記憶が欠落しているのである。

これらの(一)ないし(四)の事実に、前記関係各証拠のうち鑑定人立花光雄作成の鑑定書及び同証人の当公判廷における供述を併せ考えると、被告人は本件犯行当日の遅くとも午後八時ころ就寝から目覚めた時以降ヒステリー性もうろう状態に陥り、無理心中の観念に強く支配され、極度に狭窄した意識野の中で本件犯行に及んだものと認められ、従つて、被告人は本件犯行当時その是非善悪の判断能力やこれに従つた行為能力に障害をきたしていたということができる。

そこで、更に右障害の程度について検討する。前記関係各証拠、ことに被告人の検察官及び司法警察員に対する各供述調書(弁護人は、右各供述調書は被告人の想像に基き捜査官の誘導によつて作成されたもので信用性がない旨主張するが、充分信用できるものである。)によれば、被告人は阪奈道路を経て信貴生駒スカイラインを走行中の時点から本件犯行後失神するまでの状況、就中崖から自動車を転落させた後の車内での殺害状況については比較的記憶を残しており、このことからすると、右意識野狭窄の強度は、被告人が電話の音に目覚め二児を連れ出したころに比べると、右時点以降徐々にではあるが次第に薄れつつあり、これに伴つて、被告人は次第に事態についての認識力、判断力を回復しつつあつたものと窺知される。なかでも被告人が信貴生駒スカイラインを走行中車を転落させるのに好都合なガードレールが切れ、崖になつている場所を捜しつつ走行したうえ、本件現場を見つけ一度乗り入れようとしたが、そのとき他の車が入つてきて駐車したため、犯行が発覚するのを恐れ一旦そこを出て信貴山方面に走行し、途中から引き返し、他の車のいないのを確かめてから一気に車を転落させたことや、転落後いまだ殺害の目的を遂げず秀樹らが生存していると知るや、判示のとおりその頸部を手で締め、更には自己の衣服のベルトで絞殺するという新たな殺害方法をとり、次いで自らも自殺するべく、右ベルトで首を締め、果せないとみるや、ティッシュペーパーにシガーライターで点火し、車を炎上させようとしたり、更にはティッシュペーパーを丸めて鼻や口に突つこみ再度ベルトで首を締めるという手段を重ねておるのであつて、これらは意識野狭窄下での単なる習慣的行動とは解しがたく、その範囲を超えて、無理心中の目的に則し合目的的に臨機に対処している行動と考えられ、本件犯行の動機自体了解可能であることにも照らすと、被告人は前記のとおりヒステリー性もうろう状態に陥つたため、その精神に障害をきたしていたにしても、その程度は、少くとも信貴生駒スカイラインを走行中の頃からは、行為の是非弁別能力およびこれに従つて行動を制御する能力を全く欠くまでには至らず、かような能力をいちじるしく減弱していたに過ぎない心神耗弱の状況にあつたと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示各所為はいずれも刑法一九九条に該当するところ、各所定刑中いずれも有期懲役刑を選択し、右は心神耗弱者の行為であるから同法三九条二項、六八条三号によりそれぞれ法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示角純子に対する殺人罪の刑に法定の加重した刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処することとし、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、押収してある布製ベルト一本(昭和五六年押第二五七号の一)は、判示各殺人の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項によりこれを没収し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

一  本件は、判示のとおり、被告人自身がこれまで懸命に養育してきた障害を負つた二人の子供を道連れに発作的に無理心中を企て、右両名を殺害したという悲惨かつ重大な事犯であるが、母親といえども子供の生命を勝手に奪い去ることはいかなる理由があるにせよもとより許されるものでなく、崖下へ転落させられた狭苦しい車内で、実母の手によつて無残にもその一生を閉じねばならなかつた秀樹と純子の不憫さ、無念さの絶大なるを想うまでもなく、その罪質、結果ともに重大な犯行であり、本件が時あたかも国際障害者年の初頭に発生したもので、社会的に多大な衝撃を与えたことも軽視できないこと等に鑑みれば、被告人の刑責ゆゆしいものがある。

二  しかしながら、(一)判示の如く本件は、心神耗弱状態での犯行であるうえに被告人は、年若くして出産した二人の子供がいずれも脳性麻痺という不運に見舞われ、そのためこれまで約二〇年間にわたり、夫やその親戚から、被告人は障害児しか産めない、嫁として不適格な女だ、といわんばかりの心ない厭味や非難を浴びせられ、いわば四面楚歌の状況下にありながらもよくこれに耐え、ひたすらこの子らの養育に犠牲的努力を重ねるとともに、身を粉にして家業に精励して来たもので、その間被告人が負担した心身の難儀、労苦は測りがたく、到底世上一般の母親に比すべくもなく多大であつたといえ、被告人の右困難に立向い、これを克服するために傾けた真摯な努力とその生活態度は、同情と賞賛に価するものである。これに反し、夫三津雄の態度は芳しくなく、もし同人において二人の子のことや被告人の心裏を十分思いやつて、秀樹の判示大学退学問題や純子の判示引取問題等についての被告人の苦悩を理解し、その相談に積極的に乗つておりさえすれば、被告人一人が悩み苦しむこともなかつたと推考され、その限りでは本件の原因の一端は同人にもあると言えるのであつて、本件犯行の動機の責を被告人に一方的に担わせるのも酷である(而して、被告人が過去において二人の子供との無理心中を幾度か考えたことがあり、これがヒステリー性もうろう状態に陥つた際に、発作的に本件犯行を惹起させる背景的要因になつたことを否定できないけれども、右無理心中を想うに至る事情は、被告人の置かれた前叙状況からみて一般的に首肯できるうえに、これは単に内心の思惟にすぎないものであるから、これをもつて被告人の責任を問うことはできない。)(二)更に自らの手で最愛の二人の子を殺害しながら、自分だけが生き残つたという苛酷な結果に対する被告人の苦悶と愁嘆は断腸の切なさであり、それだけに現在秀樹と純子の冥福をひたすら祈つて暮している等、被告人の責苦を伴う反省悔悟の情は誠に深いものがあること、当然のことながら何らの前科前歴がなく、夫も今では自らにも非のあつたことを悟つており、その協力によつて今後自力更生が十分期待できること等、被告人に有利な事実が存在する。

三  してみると、これらの各情状を総合勘案すれば、被告人に対し、今直ちに実刑を科するのはいささか酷に失するきらいがあると思料されるので、その刑責を明確にしたうえで刑の執行を猶予するのが、刑政の目的に副う所以と考える次第である。

よつて、主文のとおり判決する。

(池田良兼 平井慶一 豊澤佳弘)

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